【移民】フランス「リベラルのいう多民族共生、寛容な社会は国家に混沌をもたらし、徴兵制になる」【マクロン大統領】

NHK
徴兵制復活へ 仏大統領表明 18~21歳の男女対象
1月20日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180120/k10011295281000.html

フランスのマクロン大統領は、軍の幹部らを前に演説を行い、15年以上前に廃止された徴兵制度を復活させる考えを示し、相次ぐテロの脅威に備えるためなどとして18歳から21歳の男女に対し、1か月間の兵役という形で導入を目指すと見られます。

フランスのマクロン大統領は19日、海軍の基地がある南部のトゥーロンで、軍の幹部や兵士を前に年頭の演説を行いました。
この中で、「すべての国民を対象にした徴兵制度に向けて取り組み、実現させる」と述べ、2002年に廃止となった徴兵制度を復活させる考えを示しました。

マクロン大統領は、去年の大統領選挙で、相次ぐテロの脅威に備えるためや国民の団結を強めるためだとして18歳から21歳の男女に対し、軍による訓練を中心とした1か月間の兵役の義務化を公約に掲げていました。

フランスは欧州で最大の移民を有し、フランスの慣習などに適合できない移民が群をなして生活している地区があり、治安悪化で事実上立ち入れない区域もある。
2015年1月、パリで大規模な襲撃事件がおこり民間人17名が犠牲となった。
この襲撃事件をうけてフランス国内のイスラム系住民への取り締まりが厳しくなっている。既に約100人がテロを擁護する発言をしたとして捜索対象になっており、一人のチュニジア系フランス人が逮捕され6カ月の禁固刑となった。
フランス首相であるマニュエル・ヴァルスは、移民が彼ら独自のゲットーを形成し表社会と交流を断つケースではフランス国家による同化政策は無力となると認め、30年にわたる移民の同化政策は失敗だったと示唆した。
フランスがジハーディストの巣窟となった理由は移民政策によって移民を大量にフランスに流入させたからである。
2015年11月にはパリ同時多発テロ事件が発生し130人以上が犠牲となり、翌年の7月にはニースでのトラックテロ事件が発生し84人が犠牲となった。
2016年7月時点で、フランスの総人口の約1割がムスリムである。
wiki 移民政策より抜粋
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フランス移民政策の現状と課題

移民受入国として長い歴史のあるフランスも、多くの欧州先進国同様、移民やその子孫の社会統合に苦しんでいる。

経緯・背景

第一次世界大戦以降、人口が急激に減少したフランスは、積極的に移民の受入れを行ってきた。
第二次世界大戦後、いわゆる「栄光の30 年(フランス経済史上最大の経済成長期)(1945年-75年)には、安価で大量の労働力が必要となり、スペイン、ポルトガル、マグレブ等から大量の外国人労働者の受入れを行った。
1974年、第一次オイルショック 原則として、移民受入れ停止(*しかし 既に入国している移民が家族を呼び寄せることはOK)→家族の呼び寄せによる移民増加をし続ける。
1981年 不法滞在者を正規化する特別法により、約12 万3千人に滞在許可を付与。
1988年 保守党内閣が国籍法の改正「国籍取得は自動的で、はなく届け(条件有り)」
1998年 左派の社会党が政権につくと 
不法滞在者を正規化する特別法により、約6万8千人の滞在許可を付与。
両親が外国人であっても,その子が成人の際にフランスに居住していて, 11才以降の聞に少なくとも 5年間,継続的若しくは断続的にフランスに常居所を所有していた場合は「自動的」に国籍を取得することになる。

2003年 03年法(移民の抑制、外国人の滞在及び国籍に関する法律)により、一定地域外から査証申請する外国人の指紋登録、長期滞在許可を得るための滞在期間等の伸長を行う
→移民の審査が厳格になる一方でフランスに利益をもたらすスキルを持った人材の優先的受入れは、研修制度を含む移民インフラ整備に財源確保が必要であるが、思うように技術移民が集まらず、最悪な事のに技能を持たない移民は国外退去におびえてフランスへの反感と不信が増加する。
2005年 パリ郊外のゲットー地区で暴動が発生した。(統計上の失業率は23%であったが)実際パリの一部地域では失業率は40%以上になった。そのような地域では反社会的な基盤ができあがるのは容易だ。

2017年 10万人以上の移民がフランスに亡命した

フランスは、貧困にあえぐ北アフリカや中東の難民にとっては希望である。
北アフリカ・モロッコ沖から漁船に乗りイタリア経由でフランスになだれ込む、2013年10月にはイタリア沖で、500人近くのアフリカ難民を乗せた船が出火して沈没し犠牲者が300人を超えた。

パリやリールのような大都市には、たくさんの移民たちが集中して住み着いている。
すでにそれらの大都市には大きな移民のグループがあり少なからぬ数の危険地域もできてしまっている。国内7つの大都市の市長が、もうこれ以上とめどもない移民の流入には耐えられないと警鐘を鳴らした。
彼らの流入は、この巨大なフランスの首都を、かつてのヨーロッパにおける文化の中心・文明の指針から、ほとんど文字通り第三世界の移民が暮らすジャングルへと変えてしまった。

街中のいたるところにスラム街のキャンプができ、それはまるで些細な理由で暴動や車への放火が起こっていたバンリュー(郊外)が、都市の中心に移動してきたようなものだ。
付近一帯がゴミ捨て場と化した。運河の傍やメトロの線路沿い、列車の駅、駐車場、そして19世紀のアロンディスモン(区)内の道路にまで、巨大なゴミの山ができている。

フランス警察はそれらのキャンプを10回以上も強制的に撤去させたが、移民たちはその日のうちにまた戻って来てしまう。
第三世界からの移民をヨーロッパに定着させようとする、いわゆるNGOが彼らを手助けし、けしかけているのだ。

引用抜粋
【衝撃:難民問題】破壊されたパリ:かつての光の街がいかにゴミの街へと変貌したか
https://www.newshonyaku.com/france/life/20180114

マクロン新大統領、『閉塞感をなくし、弱者を守る社会を目指す』

マクロン新大統領は、反EU・反ユーロや移民排斥を掲げる政党「 国民戦線 (FN)」 のルペン氏に勝利した。
移民や難民に寛容な社会を掲げて当選したマクロン大統領ですが、頁頭で示したように、公約で徴兵制の復活を公言していた!

日本人の私からすると非常に不思議ですね、、
徴兵制復活より難民拒否が嫌なんでしょうかね?

一般的なフランス人の考えとして、自由を求めてフランスにやってきた外国人に対しては、寛容であるべき、という共通理念が浸透しているのです。
いったいなぜ、フランス人にはこのような精神が根付いているのでしょうか。

「現代のフランスの政治体制は、1789年に始まるフランス革命にさかのぼります。(略)フランスはずっと自由・平等・友愛、政教分離という共和主義を掲げてきました。これは、生まれながらの自由を認め、人種や宗教の違いなどによる差別をせず、市民がともに助け合っていくという精神です」
(略)

こうした背景があるから、自由を求めてやってきた難民は同胞であり、助けるべき存在と考えるようになったのですね。
実際、フランス憲法にも“自由のための行動により、迫害を受けた者はすべてフランス共和国の領土において庇護を受ける権利がある”と明記されています。

引用・抜粋
共立女子大:大先輩! フランスの実情から、移民・難民問題を学ぼう
http://www.kyoritsu-wu.ac.jp/advance/magazine/2017/08/38/

フランスの 徴兵制復活への時系列 簡単な流れ

移民難民がすごく多くなった

パリ市内は移民が出したゴミの山 治安悪化

でも 移民・難民に寛容な政策を維持

警察だけでは対応不可能

徴兵制復活!

植民地の逆襲 旧植民地の移民に埋め尽くされるフランス


地獄絵図・アフリカ人の大量移民がパリを台無しに

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